筋トレに人生を捧げた男の末路:理想の体の先に待っていたものとは?

1. 始まりは「自信のなさ」だった

大学時代の高橋は、どこにでもいるような普通の青年だった。身長は平均、体重は少し痩せ型。女子にモテた記憶もなく、友達と比べて「何か足りない」と感じる日々を送っていた。

そんなある日、SNSで見かけたバキバキに割れた腹筋の写真に衝撃を受けた。「これだ、俺に足りないのは“見た目の説得力”だ」と思った高橋は、筋トレを始めることを決意する。最初は軽いダンベルから、やがて本格的なジム通いへ。気がつけば、生活の中心は“筋トレ”になっていた。

2. 変わっていく身体、変わっていく人間関係

半年後、高橋の体には大きな変化が現れた。胸板は厚くなり、腕は太く、腹筋は割れ、誰の目から見ても「仕上がっている」と言える状態だった。

周囲の反応も変わった。「なんかすごいね」「かっこよくなったね」と言われることが増え、女性からも声をかけられるようになる。一方で、昔からの友人たちは少し距離を置くようになった。「高橋って最近、筋トレの話しかしないよな」と言われるようになった。

でも高橋は気にしなかった。「俺は自分を磨いてるんだ。周りが勝手に変わっただけ」と、自分に言い聞かせた。

3. 見た目に取り憑かれる男

さらに1年後、高橋は“フィジーク”の大会に出場するほどの肉体を手に入れていた。減量、増量、サプリメント、PFCバランスの管理、徹底した生活リズム。彼の人生はすべて“身体を美しく保つこと”に最適化されていった。

しかし、その頃から“見た目への執着”が強くなっていく。

・鏡を1日に何度も見てしまう
・人と話していても、相手の体型に目が行ってしまう
・少しでも筋肉が落ちると、激しく落ち込む

彼のSNSは筋トレ、食事、筋トレ、筋トレ…と“自分の体”一色だった。フォロワーは増えていったが、心のどこかで「誰も本当の俺を見ていない」という孤独も感じていた。

4. “老い”との戦い

30代後半になると、少しずつ身体の変化が出てきた。

回復力が落ち、怪我が増え、筋肉の張りも以前より維持しづらくなった。トレーニングを続けることはできたが、20代の頃のようにはいかない。ボディコンテストでは若い選手に押し負けるようになり、スポンサーも離れていった。

焦った高橋は、無理な増量と減量を繰り返し、サプリに手を出し、やがて危険な“薬”にも手を伸ばすようになる。

その結果、肝機能に異常が出て、医者からは「このまま続けたら取り返しがつかなくなる」と警告される。だが、それでも筋トレをやめるという選択肢は高橋にはなかった。

5. 40代の誕生日、ジムの鏡の前で

40歳になった日のこと。いつものようにジムでベンチプレスを終え、鏡の前に立った高橋は、ふと立ち止まった。

そこに映っていたのは、理想の身体に近づいているが、どこか“虚ろな目”をした男だった。たしかに筋肉はある。でも、それを見て「満足している」とは言い難い。

彼は鏡の前で、ぽつりとこう呟いた。

「俺、何のためにやってたんだっけ……?」

6. 筋トレが趣味で良かったこと、悪かったこと

高橋は振り返る。

良かったこと:

  • 自信がついた(少なくとも外見的に)
  • 健康的な生活習慣が身についた
  • 努力する習慣ができた

悪かったこと:

  • 交友関係が狭まった
  • 見た目に執着し過ぎてメンタルを壊した
  • 「今を楽しむ」ことを犠牲にした

「身体は資本だ」と言うが、それを過剰に追い求めると、人生そのものが“見た目の奴隷”になってしまう。

7. “末路”とは「終わり」ではない

現在の高橋は、ジムトレーナーとして働きながら、週に2〜3回程度の軽い筋トレを楽しむ生活にシフトしている。

彼は言う。

「筋トレにのめり込みすぎた結果、俺はたくさんのものを失った。でも、それを経験したからこそ“筋トレは人生の一部であって、人生そのものではない”ってことに気づけたんだ」

末路とは、破滅ではない。ある生き方の“一区切り”だ。そこから、また違う価値観で生きることもできる。

筋トレは素晴らしい。だが、筋肉の大きさが人生の価値を決めるわけではない。バランスのとれた生き方を、どこかで見つけることこそ、本当に「美しい生き方」なのかもしれない。


まとめ

筋トレや身体作りは、自己肯定感を高め、生活にリズムをもたらす素晴らしい習慣です。しかし、それがすべてになると、人は「自分自身」を見失うことがある。

「見た目」だけに囚われず、心の豊かさや人間関係も大切にすることで、筋トレはより良い人生のパートナーになります。もし今、あなたが筋トレにのめり込みすぎていると感じているなら――少しだけ、立ち止まって“鏡の外の自分”も見てみてください。